2006年8月10日 (木)

小松左京『日本沈没』+『日本沈没第二部』

ぼくは小松左京氏の著書が大好きである。微生物の世界に引き込まれる遠因となった『シナリオ復活の日』は生物学的に辻褄が合わない部分も多々あるものの、強力な病原体のアウトブレイクのシュミレーションが見事になされており、書の最初から最後までのめりこむことが出来た。今日もインフルエンザウイルスと戯れてきたのだが、この『シナリオ復活の日』がなければ今のぼくはなかったかもしれない。定期的にこの本は読み直すのでまたその機会に詳しく記したい。

『シナリオ復活の日』以上に一般的に知られているのが『日本沈没』であろう。1970年代に発表された作品なのでぼくが生まれる前のものである。ぼくはもともと地学チックな事柄が大好きで、それなりに知識をもっていた。地震が来る前の地鳴りを聞いては「オッまた来たぜ!」と防御姿勢をとるような変わり者だったわけだ。同じく気象のことも大好きで、地上天気図だけでなく上空天気図も読めるようなこれまたヘンな高校生だった。そんなころに出会った『日本沈没』はあまりに新鮮だった。日本が沈む件についてのメカニズムは?な点があるけれど、日本の乗っているプレートを気象の閉塞前線に例えて説明するシーンなどものすごく印象に残った。たまに地震のことを友達に説明する時にこの論法を拝借しているがどうかぼくの知り合いは許して聞いて欲しい(笑) なんども読み返すうちに、というか歳をとるにつれて”日本人が国土を失ったら”どうなるのかと真剣に考え始めた。やや語弊があるかもしれないが、日本は本質的に単一民族国家である。それが他のコミューンに放り出されたとき、日本人はどうやって生きていくのか?『日本沈没』のラストの小野寺がシベリア鉄道にのって日本から遠ざかっていくシーンは涙無しには読めない。国土も、資本もあらかた失って残されるのは技術と教育と民族内の結束だけである。実際に日本が沈没することは無いと思われるのでたいした問題ではないかもしれない。ただ、ぼくも認めざるをえない自称「読書家」の親父曰く、小松左京氏は続編を書いてるらしい、『日本漂流』という題名らしい(実際にはちょっと間違っていた)、とのこと。なんたる僥倖か、きっとそれからの日本人について描いてくれるに違いないとぼくはずっと期待を抱いて待っていたのだ。そして先日…

『日本沈没第二部』 ミ、ミツケタゾッ!! 出版されるなんて全然知らんかったがでてるじゃまいか!親父も人の悪い、教えてくれりゃあいいのに。ハードカバーでちょっと値が張るがもちろん即決です。もうね、全力で読みましたよ。

※警告※ ここからは新刊の内容に関する記述を含みます 構わない方は反転してください ※警告※

第一部から25年後の世界、冒頭から出てくる懐かしい登場人物、○○。第一部では脱出行の最終段階で極秘任務を遂行する途中、民間人を救うために艦を降りた大した人間だ。首相はあの△△。ほんとうに懐かしい。国土回復を図る日本(首相)と諸外国の関係が非常に難しい。個人的にはこの流れは小松氏の考えそうな流れだと思う。だけど△△が苦悩し、失脚するのはどうだろうか?彼は第一部でのヒーローなのだから。主人公の□□も再登場するが、ああいう役回りはハッキリ言って『日本沈没』のいちファンとして嫌だ。だけど再登場するなら残念ながらああいう立場で、苦悩する日本人を代表する形でしかありえないのかもしれない。

さらに迫る異変。このあたりは最近の氷河期に関する考え方の影響を受けているのが伺える。海流の流れが停滞し、海流を通した地球熱循環が上手く行かなくなることが氷河期を到来させるという説はどれほど信憑性があるかはまた別の次元の問題だが、考えると末恐ろしくなってくる。

真に遺憾ながら全体的に厳しい評価をしなければならない点が多い。以前の小松左京氏の作品は読者に読ませる技術に長けたものだった。わかりやすい比喩表現が多くて、要はテンポがいいのだ。しかし『第二部』は同じ表現が目立つ、小節の終わり方が似通っている、登場人物が多すぎてあまり感情移入できない、しかも第一部の余韻を残している登場人物が少ない、比喩がない、といったことによりテンポが悪いのだ。どうなのか真相は知らないが、小松氏は案と大まかな道筋を示しただけで本書の殆どは谷甲州氏が書き下ろしたものではないだろうかと思うのだ。これは好きな作家の変化を認められないというぼくのある種の原理主義の作った妄想だろうか??

ぼくの期待が過剰すぎたのかもしれない。前作が偉大すぎると続編は決まって小さく見えるものである。全体の流れは素晴らしいし、最後の章は小松氏らしさに溢れていた。まだ一回しか読んでいないし咀嚼しきれていない部分もあるのでこれらの評価は暫定的なものとしておこう。また小松氏が本を書いたら是非読みたい。

2006年8月9日水曜日26:07

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2006年6月17日 (土)

『クライマーズ・ハイ』完読記念

本屋を歩いていたら3列にもわたって同じ文庫本が山積みされていた。クライマーズ・ハイ』なるこの本を、ぼくは山登りの本であるに違いないと早合点した。著者が横山秀夫氏だったので一応手にとってみた。『臨場』ではなかなか楽しませてもらったので、ちょっと興味を引かない題材ぽいが裏のあらすじだけでも読んでみようと思ったのだ。そしたらナントツイ最近に再読成った『沈まぬ太陽』の第二部の主題である御巣鷹山日航機墜落事件に関する小説ではないか!しかも主人公は新聞社の記者。『沈まぬ太陽』とは違う切り口から事件に迫るに違いない。即座に買うこと決意。

大学の授業はモノによっては聞く「価値」が見出せない講義がある。このような場合、ぼくを含めた学生は二通りの行動パターンを示す。つまりは「寝る」か「内職をする」かのどちらかだ。読書は内職というには惜しい崇高な行動なので「自習」とでも呼ぼう。これまたなかなか面白かったのでついつい手が進んでしまい、ごく短期間で読み干した。

主人公は記者だが、ぼくは記者とはどのようなものかよく知らない。大多数のひとが持っている知識は先入観に近いものだろう。ぼくは一度だけ記者に相対したことがある。去年の獣医学祭の展示特設会場に現れた○日新聞記者さんを相手したのだ。去年の展示の題材は『骨の動物園』だった。その設営部隊の幹部クラスだったのでぼくが話をせざるをえなかった。はじめは貴重な体験だし少々質問されても答えられないはずがないと踏んでいたが、その中年の記者はしたたかで大要を捉えた質問をしてきたのだった。いちばん困ったのは「この展示の意義は何か」という質問だった。なぜそんな質問が答えられないかと思うかもしれないが、実はぼくたちクラスのなかで展示に関する意見が分かれていた事実があった。

「ある骨全部みせよう派」と「きちんと説明できる骨だけ出そう派」に意見は分かれた。獣医学部学生といえどナントカウサギとかナントカタヌキとかまでの骨格はわからない。卒業生も然りだろう。事前に勉強して武装したところで詳細を説明できるのは馬牛羊ヤギとか犬猫くらいな訳だ。ぼくの意見は後者で、結局前者の意見が採用された。展示された動物のトリビアを張ることで展示の意義を持たせることができると熟考の末結論付けて、ぼくの仲間は必死にトリビアネタを専門書から、一般書から探してきたものだ。ちなみにぼくは「アカデミックにして」と難題を吹っかけてきた○剖学教官への対応及びマニアックなお客に教えるネタにするため競走馬の骨折とレントゲン写真についてまとめた。それはそれは展示会場は盛況で、白衣を着たぼくたち展示係は心躍らせながら来賓に解説してまわったものだ。

記者さんはその盛況を見てやってきたのだろう。そして薄いコンセプトに気付いた。「みせることが目的」ということになってはいたが、記者さんはぼくたちにもっと深いコンセプトを期待せずにはいられなかったのだろう。おそらくぼくの答えには若干失望したはずだ。翌日の新聞にはちょこっとした記事が載った。彼が手加減をしなければ批判記事も書けただろうが、ぼくたちは公的な立場に無いし、紙面で批判するにも及ばない相手だったという訳だ。いずれ公人になったら、このようなテツは踏みたくないものだ。名刺をいただいて気付いたのだが、その記者さんは自然保護とかについて書くひとで、ただの記者ではなかったらしい。学祭はというと、それまでの学年がヤル気がなかったのでそれと比べると各イベントともに前代未聞クラスの活況を呈したし、展示部門も素晴らしい数の意見投書をいただけた。いい思い出だナ。

こんなわけで元記者だった『クライマーズ・ハイ』著者の横山秀夫氏が書く本書を実に楽しむことができた。内容については言及するのを避けよう。

2006年6月18日土曜日 24:40

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